2006-01-01から1年間の記事一覧

音声言語シンポジウム。

12月21日から22日にかけて名古屋大学にて「音声言語シンポジウム」が開催された。私は21日しか行っていないのだが、その日の発表に関する雑感を語る。 と書いたのが行く前なのであるが、とりわけ印象に残る発表はなかった。残念である。 とある先生…

哲学的な問いかけではなく工学的な問いかけ対象としての音素。

現在の音声認識というのは、「音素認識」から出発している。音素というのはおおよそ、声をローマ字表記したときの一つ一つの文字だと思ってもらえればいい。例えば、「音素」は/o/,/N/,/s/,/o/の四つの音素に分解できる。この音素が認識できれば、それを結合…

馬鹿より専門馬鹿の方がいい。

教育について語る人は多くいる。学力の低下について語る人も多くいる。そして、学力の低下について語る人に対して、学力の定義について問う人も多くいる。私も学力の定義について問いたくなる人間の一人である。 まず「学力低下」していると嘆く人は「学力が…

ジャーナリスト宣言について。

私は朝日新聞は嫌いではないし、どちらかといえば好きな部類に入る。けれども、「言葉の力を信じている」というキャッチコピーには嫌悪感を覚える。*1 結局のところ、言葉の力を信じるというのは、(自分たちの発した)言葉の力を信じるということである。朝…

勉強の好きな人が勉強をする理由。

勉強の好きな人というのはクラスに一定の割合でごく少数だがいることと思う。小学校から大学院まで、どの年代にも一定の割合で勉強の好きな人は存在する。 中でも、大学院の勉強の好きな人が勉強をする理由は簡単である。勉強をすると好奇心を満たすことがで…

音声認識技術の標準化とキラーアプリ、そして自然言語としての音声の否定。

いつかの音声関連の学会でかなり名の知れた先生が、「音声にはおそらくキラーアプリは存在しない」と言っていた。音声認識技術を使えば何かが劇的に便利になるとかそういうことはないという意味である。そして、「じわじわと時間をかけて音声認識をユーザー…

勉強は無駄である。

そもそも、学問は楽しいものである。嫌なのは定期考査くらいであり、基本的にはどのような授業も楽しい。少なくとも私は小学校から今までの授業は楽しかった。なぜなのか。基本的に勉強というのは私にとっては遊びに等しかったからである。 遊びというのは無…

役に立つ教育を受けた人が本当に幸せになれているのか、誰か測ってくれませんか。

この段落、前置きである。巷では履修漏れの問題が採り上げられている。私の出身高校は(今は違うようであるが)、生徒たちを文系と理系には分けなかった。そして、全員に「社会四教科(日本史世界史地理政経)」「理科四教科(物理化学生物地学)」を教えて…

よくできているものは怖い。

直感的な話をする。人工知能研究は今、「すごい」といえるものを生み出すことができていないように思える。なぜ私は「すごい」といえないのか。答えは題名のとおりである。 よくできているものは、大抵怖い。例えば、車は怖い。麻酔は怖い。googleも怖い。な…

"Noise Reduction in Time Domain Using Referential Reconstruction"

文献紹介となっているが、他人のものではなく自分の論文である。電子情報通信学会は基本的に転載禁止なのであるが、要旨だけは公開されているので要旨程度のことなら語っていいものと思われる。なお要旨はこちらにある(http://search.ieice.org/bin/summary…

音声認識と雑音。

現在の音声認識の分野では、実際のところは音声認識そのものの研究はされていない。なぜなら、音声認識の研究はもうすでに終わったものと見なしている人が多いからである。だから、この分野では音声認識の弱点を補うか、音声認識の技術を利用して何かほかの…

「2006年度 人工知能学会全国大会 映像配信」

以下のページにて、「科学と技術は違うんですよ」という内容から始まる村上陽一郎先生のご講演の映像を見ることができる。また、AIの有名な日本の先生方へのインタビューも聞ける。面白いと思うので、是非ご覧いただきたい。 http://www.ai-gakkai.or.jp/jsa…

文系の学問はなぜ必要なのか。

別に学問である必要はなく、要するに必要なのは文化なのであるが、その文化がなぜ必要なのかを書く。なぜ書くのかといえば、理系の学生として「文系の勉強ってなんの役に立つんですか?」という質問に攻撃されて文系の学問が社会的に衰退していきつつある現…

見知らぬ学生から研究代行を頼むメールが来た。

先日、私のもとに一通のメールが届いた。プライバシー保護のため詳細は語らないが、「私の代わりに卒業研究をしてください」という趣旨のメールである。その趣旨に反してメールに書かれていた情報量が極端に少なかったため、詳細を聞くためにいくつかの質問…

科学と正義。

ものすごく簡単にいってしまえば、科学の歴史というのは計測と分類の歴史である。オームの法則というのは電気抵抗と電位差と電流を計測することができなければ確かめようがない。食塩がNaとClから成り立っているといえるのは原子が分類されているからである…

トンデモ科学が成立する分野。

今回の記事は非常に短い。要するに「音声認識も自然言語処理もトンデモとマトモの区別がつかない」ということを書くだけである。 主に化学系の分野で「トンデモ科学」が生じることが多いようであるが、それは逆に言えば「トンデモ」と「マトモ」の区別がつき…

なぜ音声認識はそれっぽくなっているのか。

どれほど音声認識が杜撰に作られているかということをこれまで書いてきた。今回は「杜撰であるにもかかわらずなぜそれっぽくなっているのか」ということを書こうと思うが、その前に簡単に「なぜ杜撰に作ってしまったのか」ということを書く。 音声認識の研究…

「こんとんじょのいこ」と音声認識。

現行の音声認識の限界について語っている記事の続きである。復習をしておくと、現行の音声認識は「音声をものさしで測り、その結果を辞典で調べて、結果を出力している」ようなものであると書いた。そして、「ものさし」の悪いところを前回は書いた。今回は…

オシム監督流「できるけどやったことのないことをさせる教育」

教育というと「知識を詰め込む」と「野放しにする」の二つの方法論の間を行ったり来たりしている印象がある。我々のような「非ゆとり世代」は前者であり、「ゆとり世代」は後者であろうと思う。結論からいえば、どちらも失敗しているように思われる。そして…

「文書群に対する物語構造の動的分解・再構成フレームワーク」*1

現在この記事を書きながら、検索のトップにこのページが来てしまうことを恐れているが、やはり面白いものは紹介しなければもったいないと思うので紹介する。なお、原典はhttp://www.jstage.jst.go.jp/article/tjsai/21/5/21_428/_article/-char/ja/のPDF…

「考えて走るサッカー」目的語不在の動詞について。

サッカーのオシム監督の試合になると、必ず出てくるフレーズが「考えて走るサッカー」である。このフレーズは分かりやすいようでいて非常に分かりづらく実践しづらい。なぜ実践しづらいのかといえば、「何を」考えて「どこを」走ればいいのかが分からないか…

「ものさし」の何が杜撰なのか。

7月6日にこの日記に書いた「現在の音声認識技術は適当に作られている」という話の続きである。この前は、音声認識について、次のように説明した。 声をとある「ものさし」で測り(実際に数値に変換される)、その数値を過去のデータと照らし合わせることに…

もしも教員になったらこんな面接をする。

宝くじが一万円分当たったら何に使おうかと考えるのと同じように、私ももしも将来研究室を持ったらどんなことをしようかということを考える。最初に考えるのは面接についてのことである。 人気のない研究室も人気のある研究室も、研究室配属の際には面接をす…

学力低下も問題ではあるが。

学力の低下と見なされる状況が観測され、その低下を食い止めるためにはどうしたらいいかという議論がなされているが、本当に目指さなければならないのは、学力の向上だろうと思う。 学力の低下を食い止めるという概念は、みんなにペーパーテスト(およびそれ…

硬貨識別と音声認識。

先日、パターン認識の例として、「硬貨識別」と「音声認識」をほぼ同列に書いた。ここにすでに「音声認識」を難しくしている問題がある。「硬貨識別」と「音声認識」は同列に扱ってしまっていい問題なのかどうか、まだ分からないのである。 まず、先日なぜ私…

行間には何が存在しているのか。

タイトルには「行間」と書いたが正確には「文と文の間」の話である。今日の日記では、「文と文の間」には何が存在していて、それがどれくらい大事かということを語ろうと思う*1。 まず最初に、なぜこんな話をしようとしたのかを説明しておこうと思う。最初は…

パターン認識の成功事例。

なぜ音声認識研究は失敗している(と私が思っている)のかを語る前に、認識技術の成功事例について語ろうと思う。 まず、予備知識から説明しておくと、ある事例についてなんらかのラベル(カテゴリ名)をつけることを「パターン認識」と呼んでいる。音声認識…

バイオメトリクスに関する学会で。

2006年6月23日、東京の工学院大学で「バイオメトリクス」に関する学会が開かれた。とりわけ興味のある学会でもなかったのであるが、後輩を誘った都合上、聴講してきた。印象に残っているのは、技術よりも話題性が先走ってしまっているという話だった…

何が分からないのかを語ること。

今日の日記は、専門家は専門を語れという話でもあり、分かっていることを語るより分からないことを語れという話でもある。 理系離れという言葉が古くさいものに聞こえてしまう世の中になったが、私は離れているのは理系だけではなくて、文系からもみんな(大…

「だから」の推進力と「しかし」の倫理観。

西洋を中心に科学は発展してきたが、そこで用いられてきた「科学的な考え方=合理性」を人間に要求すると不幸を招くのではないかと思っている。本日の日記では、このことを「だから」と「しかし」という二つの接続詞をキーワードにして語る。なお、今回の日…