2006-08-01から1ヶ月間の記事一覧

オシム監督流「できるけどやったことのないことをさせる教育」

教育というと「知識を詰め込む」と「野放しにする」の二つの方法論の間を行ったり来たりしている印象がある。我々のような「非ゆとり世代」は前者であり、「ゆとり世代」は後者であろうと思う。結論からいえば、どちらも失敗しているように思われる。そして…

「文書群に対する物語構造の動的分解・再構成フレームワーク」*1

現在この記事を書きながら、検索のトップにこのページが来てしまうことを恐れているが、やはり面白いものは紹介しなければもったいないと思うので紹介する。なお、原典はhttp://www.jstage.jst.go.jp/article/tjsai/21/5/21_428/_article/-char/ja/のPDF…

「考えて走るサッカー」目的語不在の動詞について。

サッカーのオシム監督の試合になると、必ず出てくるフレーズが「考えて走るサッカー」である。このフレーズは分かりやすいようでいて非常に分かりづらく実践しづらい。なぜ実践しづらいのかといえば、「何を」考えて「どこを」走ればいいのかが分からないか…

「ものさし」の何が杜撰なのか。

7月6日にこの日記に書いた「現在の音声認識技術は適当に作られている」という話の続きである。この前は、音声認識について、次のように説明した。 声をとある「ものさし」で測り(実際に数値に変換される)、その数値を過去のデータと照らし合わせることに…