人工知能が東大に入るときの難所。

 一部で話題になっている「ロボットは東大に入れるか」(国立情報学研究所「人工頭脳プロジェクト」)であるが、私の周りでは専門外の方々の反応の大多数は「当然入れる」というものだった。私の直感では「難しい」ということになっているので、ここでは何が難しいのかということを簡単に書く。具体的に書くつもりはない。

 おそらく「当然入れる」と思っている人は、無意識のうちに「コンピュータを使えば当然入れる」と思ってしまっているのだろうと思う。さらにいえば、「人間がコンピュータを使えば当然入れる」と思っているはずである。その上で、「人間がいてもいなくてもコンピュータなら当然入れる」と推論してしまって、結論として「コンピュータなら当然入れる」と思ってしまうのだろう。でも、人間がいるかいないかというのは非常に大きな問題であり、その部分こそがこのプロジェクトの肝である。

 仮に、人間がコンピュータを使って受験することを考えよう。このとき、人間はまず問題文を読む。そして、コンピュータに必要な情報を入力し、解答に関する出力を得る。この出力をもとに人間は解答を書く。このとき人間は、問題文をコンピュータに分かるかたちに直すという作業をしている。そして、コンピュータの出力を人間に分かるかたちに直すという作業もしている。この人間がやっている「問題文の読解」「解答文の作成」こそが機械にとって難しい部分である。今回のプロジェクトはほぼこの二点へのチャレンジだと思ってよい(と書くといろいろと文句をいわれそうだが、そこが最も難しいところである)。

 コンピュータは確かに掛け算も足し算も即座に計算する。難しい微分方程式を即座に解いてくれたりもする。チェスで人間のチャンピオンにも勝った。クイズでも人間に勝った。人間にとって難しいことをことごとく成功させてきた。一方で、人間にとって簡単なことの多くはまだできないのである。自動車は時速百キロで走ることができるが、ロボットの二足歩行はまだまだ不自然であるし、「けんけんぱ」(片足飛びの遊び)などに至ってはまだまだ無理である。同じように、東大の入試よりもむしろ小学校の理科の方が人工知能にとっては難しいはずだという話もキックオフシンポジウムでは出た。さらにいってしまえば、幼児はものすごく速く母語(母国語)を憶えていくが、人工知能はまだまだ憶えることができない。そう、機械にとっての難しさは、ほぼ人間の感覚とは逆なのである。

 今回のプロジェクトが成功したら、人工知能の研究者はさらに「(人間にとって)簡単な」問題に取り組むだろう。それを素晴らしいと思うか滑稽だと思うかはあなたの自由である。