「え」と「い」の実験。

 子音の研究をしているのに、この日記に書いているのは母音のことばかりであるような気がする。とにかく、本日の日記は日本語の「え」と「い」についての実験である。結論から書けば、「え」だろうが「い」だろうがある一定以上の高さの狭い帯域だけを取り出すと「い」に聞こえるようだという話である。私以外の人も追試してトラックバックを送ってもらえると嬉しい。

 日本語の母音の「え」と「い」というのは、スペクトルの形が似ている。一般に、「い」の方がスペクトルが高い帯域に偏っているように見受けられる。下に「え」と「い」のスペクトルを示す。縦軸:対数パワー、横軸:(線型)周波数である。目盛りの数値に意味はなく、飾りである。


図:「え」のスペクトル


図:「い」のスペクトル

 ここで、高い周波数にスペクトルを偏らせれば「え」も「い」に聞こえるのだろうかと思い、高域通過フィルタを使って低い周波数を抑制してみた。遮断周波数は1900Hzである。その結果、予想どおりに「え」が「い」に聞こえるようになった(なお、類似の実験は「あ」でもおこなったことがあり、そのときも「あ」が「い」になった)。スペクトルを下に示す。同様のフィルタを「い」にも適用したところそのまま「い」に聞こえた。


図:「え」を低域遮断したスペクトル

 さらに、「え」に帯域通過フィルタを適用してみたらどう聞こえるだろうかと実験してみた。上の実験で「え」が「い」に聞こえた原因を探るためである。さらに細かくいえば、周波数のパワー分布の重心が高いところにあることが原因で「い」に聞こえたのかどうかということを調べてみるためである。上の実験よりもパワー分布の重心を下げるため、通過帯域は1900-2200Hzとした。事前の予想としては、周波数の上限を低くしたので「い」には聞こえずに「え」か「あ」あたりに聞こえるのではないかと思っていた。あるいは、帯域が極端に狭いので、単なる雑音にしか聞こえないかもしれないとも思っていた。結果としては、これでも「い」に聞こえた。下にスペクトルを示す。同様のフィルタを「い」にも適用したところそのまま「い」に聞こえた。


図:「え」に帯域通過フィルタを適用したスペクトル

 その後、話者を変えてみたり、遮断周波数を変えてみたりしたが、帯域通過フィルタを狭くしたときに「え」がそのまま「え」に聞こえることはなく、ほぼ「い」に聞こえた。また、帯域通過フィルタが広いときには、中心周波数が比較的高いときにも、「え」がそのまま「え」に聞こえることもあった。実験してみた感覚としては、帯域の中心周波数よりも、狭さの方が音韻性に対して影響力があるようだった。帯域が狭いときには中心周波数にかかわらず、「え」が「い」に聞こえた。なお、極端に中心周波数を低くすると(300Hzとか)「う」に聞こえた。

 とにかく、帯域幅が狭くて、中心周波数がある程度高いときには、「え」が「い」になるようである。実験データが限られているので確かなことはいえないが、概ねその傾向にあるようである。なお、実験データとしては、私の声のほかに「重点領域研究「音声言語」・試験研究「音声DB」 連続音声データベース (PASL-DSR)」というデータベースを用いた(個人名義で所有している)。

 この実験をしてみて思ったのは、意外と母音の知覚も思ったより単純ではないのかもしれないということである。

 本日の日記に用いたoctaveスクリプトと図と音声は一応いつものようにSkyDriveに置いておく。ただし、当然のことながら、データベースの音声の二次配布はしていない。