最善手は五分のわかれ。

 今年もくだらないことを書く日がやってきた。今年は囲碁の話を書く。私が今はまっているのは将棋観戦だが、今日は囲碁のことである。

 小学校三年か四年くらいの頃に、三ヶ月か半年くらい、囲碁を習っていたことがある。近所で碁会所を開いていたアマチュアのおじさんに習っていた。結局ほとんど強くなれずにやめてしまったのだが(同じくらいの年の人もほとんどいなかったし)、そのおじさんの言葉で一つだけ印象に残っているものがある。

 そのとき私はものすごく初歩的な定石を教わっていた。定石の内容は書かないが、黒石三つ、白石三つを隅に打つだけの簡単なものである。私は定石というものを初めて習ったので、そうかこれで勝てるのか、などと単純に思っていたが、六つ目の石を置いて手順を示し終えたおじさんから出た言葉は「これで白と黒は五分五分だ」というものだった。定石を必殺技だと思っていた小学生の私にとって、五分五分というのは肩透かしだった。

 結局、定石がなぜ五分五分なのかということが分からずに囲碁をやめて二十年くらいが経った。そして、将棋のコンピュータソフトBonanzaの影響で少し前からコンピュータ将棋を趣味として自作するようになって、ようやく五分五分の意味が分かった。相手もこちらも最善手を打ったら五分五分になるのは当たり前なのだ。逆に五分五分にならない手が浮かんだとしたら、相手の最善手を読み逃している可能性があるということになる。おじさんの「五分五分」は深遠な言葉でもなんでもなく、理屈で説明できるものだった。

 おそらくどんな種類の勝負でも、対等な立場の相手がいる限りは必殺技というものは存在せず、五分五分の戦略が正解なのだろうと思う。

 今分からないのは、相手と非対称な関係にある場合でも最善手が五分五分になるかどうかである。例えば、ピアノのコンクールや、顧客へのプレゼンなど、片方が審査員の場合である。どうもこういうときには審査員が必殺技を持っている気がするのだが、この場合も考え抜くと五分五分になるのだろうか。