雑談のススメと恩師。

 このブログが始まってから100回目の更新なので、とても個人的なことを書く。学部四年生と修士のときの研究室でお世話になった教授のことだ。

 学部四年生のとき、私は音声と画像の研究室に入った。音に興味があり、言語に興味があり、算数がそれなりに好きだったからだ。「学部回想」というカテゴリを見てもらえれば、そこでどういうお勉強を私がしていたのかが分かる。

 その研究室は、入ってから知ったことだが、昼食を先生と一緒に食べていた。お昼になると先生が学生の部屋に来て、ドアを一回だけノックして開け、「食事行くか」と言うのである。学生たちは修士も学部も、そのくらいの時間になるといつでも手を休めることができるように準備をして、先生が来るのを待っていた。

 昼食の間、先生は主に時事問題について話していた。よく憶えている話題は、SARSと鳥インフルエンザ狂牛病と火星の無人探査機である。政治については語らず、科学技術や医療についてよく喋った。毎日異なる話題を持ってくるのは大変だったことと思う。

 そういったお昼の情景をほかの研究室の同級生の女子学生に話したところ、「きもい」と言われた。「うちはみんな、ばらばらにお昼を食べてるよ」と。私は、そうかきもいのか、と思いながらも楽しいからいいやと思っていた。

 ただ、変わった風習だとは思っていた。なぜお昼をみんなで食べにいくのか。

 その「変わった風習」の謎が解けたのは、先生の最終講義のときだった(余談だが、私が修士を終えると同時にその先生は退官し、私は博士課程を別の研究室で過ごすこととなった)。最終講義の中で先生は「雑談のススメ」という話をした。

 先生は最初から大学の教員であったわけではなく、社会に出てすぐは企業の研究者をしていた。その後とある研究所の社長になり、社長の任期が切れてから大学の教員になった。その研究者時代の先生の上司は、毎週ある決まった曜日になると部下たちの机を回って雑談をしたのだそうである。「研究をしていると人間の存在を忘れがちになるが、研究の向こう側には人間がいることを忘れてはならない」というのが先生の上司の教えだったそうである。

 私の先生も、その「雑談のススメ」を踏襲していた。それが毎日の昼食会につながっていたのかどうかは語らなかったが、おそらくつながっていたのだろうと思う。昼食会自体は、ほかの一部の研究室にもあったそうで、それを真似したのだとは聞いていたが、「雑談のススメ」は最終講義で初めて聞いた。その研究室の助手の先生もやはり初めて聞いたそうである。

 その毎日の昼食のせいなのかどうかは分からないが、そのときの研究室ではやたらと雑談が多かった。雑談が多かったので、研究室は研究の場というよりは、雑談の場だった。雑談のおまけに研究をしているというふうだった。雑談の途中から研究の話に切り替わることもあり、そういうときには誰かがホワイトボードを引っ張ってきて、図や数式を書いた。効率的な研究の進め方ではないのかもしれないが、研究に費やす時間はほかの研究室よりも自然と多くなっていた気がするし、研究に関するコミュニケーションの時間も多かったと思う。

 そういったことが「雑談のススメ」の目的なのかどうかは分からないが、雑談をすると逆に研究がはかどった。そして、なによりも雑談は楽しかった。