どうぶつcafeに行ってきた。

 昨日、東西線門前仲町駅から徒歩三分くらいの深川東京モダン館というところで開かれた「どうぶつしょうぎcafe vol.1『with タコツボ』@深川東京モダン館」というイベントに参加して、どうぶつしょうぎとタコツボを指してきた。本日の日記はこのブログによくあるような「学会に行ってきた」というレポートでもなければ、「研究者に会ってきた」というレポートでもない。単に、「遊んできた」という話である。遊んできた話のわりには文体が硬いのだが、ご容赦願いたい。

 主催はpiecodesign藤田さんであり、また藤田さんはどうぶつしょうぎのイラストデザインの人でもある。

 まず、会場にたどり着くと受付でいきなり藤田さんに出くわす。心の中で「生ぴえこだ!」と興奮しつつ、平然と受付をしているように装う。「ぴえこ」というのは藤田さんの愛称である。女流棋士に生で会うのは人生初である。藤田さんにはまず名前を訊かれ、「井原です」と答えると「モンテカルロの方ですね」と言われる。まさか、把握されているとは思わなかった。藤田さんはひよこの絵のシールに「イハラ」と書くと、「はい、ぺったんしますねー」と私の左胸にシールを貼り付けた。これで、受け付け終了らしい。なんとなく幼稚園時代に戻った気分である。

 会場にはすでに「どうぶつしょうぎ」と「タコツボ」が並べられていたが、まだプレイしている人はおらず、参加者たちは会場の隅の方に散らばっていた。どうやら開始前だったようである。ざっと見た感じでは、あらゆる年代の男女がいるようである。

 隅の一角にひとだかりができていたのでのぞいてみると、小学校低学年くらいの男の子とおじさんがなにやら対局していた。面白そうなのがそこだけだったので見物することにする。どうぶつしょうぎに似ているのだが、駒が一回り小さく、そして盤は9×9だった。どうやら本将棋のどうぶつ駒バージョンであるらしい。おじさんは、「ああ、きりん(飛車)がとられちゃったー」とぼやいていたりした。どうぶつ駒はかわいらしいのであるが、慣れないと局面の把握が難しい。注意深く観察してみると、おじさんは居飛車で銀冠である。というか、居きりんでねこ冠である。対する男の子はほとんど囲わずに元気にきりん(飛車)を成り込んでいる。二枚きりんの猛攻である。男の子はうさぎ(桂馬)でいぬ(金)をはぐことに成功するも、おじさんも負けじと相手の一段目に駒音高く飛車を打ち込み詰めろをかけた……つもりだったが、おじさんはきりん(飛車)とぞう(角)を勘違いしており、詰めろでもなんでもなかったのだった。このどうぶつ本将棋、大人泣かせである。なお、正式名称は、「おおきな森のどうぶつしょうぎ」だそうである。

 藤田さんの開始の号令によって、参加者たちが席に着き、どうぶつしょうぎとタコツボのルール説明が始まった。プロジェクターで壁に投影された動画にあわせて、藤田さんが解説をする。藤田さん、なかなかいい声である。声に聞き惚れていたら、タコツボのルールが把握できなくなったのだが、気にしないことにする。ルールが分からなければ相手に聞けばいいのである。

「じゃあ、適当に始めてください」ということで、最初なので同年代の男性がいいなと思い、声をかけてみた。どことなく私と同じ雰囲気の青年である。ところで、私は何度かこのブログにどうぶつしょうぎのことを書いてきたが、対人戦はこれが初めてである。本将棋も大会とかには出たことがなく、せいぜい学校の休み時間に指す程度だった。そういうわけで、これが人生初対局といっても過言ではない。私はジャンケンに勝ち、先手となった。緊張しつつ、「初手、C3きりん」を指した。「C3きりん」が私の人生の初手となった。そこからの指し手は憶えていないが、私の勝利となった。初勝利である。相手にこれといった敗着もなく、私にこれといった好手もなく、なぜだか知らないうちに勝っていた。勝つときというのはそういうものだと、昔の偉い人が言っていたような気がする。その後話してみると、どうやらその人もどうぶつしょうぎは初めてだったそうである。また、本将棋もさほど強くはないそうである。さらに、普段は指さない将棋ファンであるところも一緒であり、好きな棋士を聞いたところ「藤井九段ですね」との答えが返ってきた。私は木村八段である。

 次に指す相手は普段喋らないような人にしてみようと思い、そこらへんにいたおじさん(30代か40代)に声をかけてみた。このときまだ私は緊張していたのだが、おじさんが私の緊張をほぐしてくれた。どうぶつしょうぎを二局ほど指しながら、コンピュータ将棋・囲碁モンテカルロ法の説明をしたりした。「僕のモンテカルロどうぶつしょうぎ、なかなか強くならないんですよ」などと話した。なぜか二局とも私が勝ってしまった。おじさんは女の子のお子さんを会場に連れてきていたようで、その女の子は何度も、「パパ、勝ってる?」と訊いていた。小学二年生くらいに見えた。女の子はどこかの男の子にあっという間に負かされたそうである。対局中は、パパに勝ってほしいのかな、と思っていたが、もしかしたらパパにも一緒に負けてほしかったのかもしれない。女の子は対局中、何度もパパの頭を叩いたり首につかまったりしていたのだが、それはパパの邪魔をしようとしていたのかもしれない。そのパパさんとはタコツボも二局指し、こちらはあっさりと負けた。タコツボ、勘がつかめない。その後の記憶が曖昧なのだが、もう一度パパさんとどうぶつしょうぎを一局指して負けたような気がする。そして、パパさんは言った。「申し訳ないんですけど、この子と指してくれますか」。喜んで! というわけで、女の子との対局である。

 その女の子は整った顔立ちをしていた。きっと将来、もてるだろうと思えた。そして、指し手もそれなりにしっかりしていた。パパさんは「モンテカルロ的ですけど(悪手をよく指しますけど)」と言っていたが、しっかりとこちらの王手を放置することなく避けていた。もし私が、うっかりひよこをただでとられてしまったり、うっかりにわとりを二匹も作らせてしまったり、うっかり一手詰めを二回も見逃したりしなければ勝てたと思うのだが、最後は女の子にぞうを打たれて詰まされた。あと、パパさんが途中で、「とれるものはとる!」とか「そこにひよこを置いちゃ駄目でしょ!」とか横でコーチングしなければ、きっと勝てたのではないかと思うのだが、負けてしまった。女の子は嬉しそうにスタンプを押しに行った。

 次はせっかくなので、藤田さんである。適当な席が空いていなかったので、子供用の小さな椅子と小さな机で対局することにした。子供用の将棋を作ろうとしていた藤田さんとの対局にこれほどふさわしい椅子と机はほかにない。そもそもなんでこのイベントに参加したのかと言えば、一度藤田さんに会ってみたかったからである。もちろん、どうぶつしょうぎを指すというのも大きな目的ではあった(コンピュータで作るからには指したいと思っていた)が、女流棋士の中でもかなり独特の部類に入ると思われる藤田さんと喋ってみたかったのである。対局してみてなんとなく感じたのだが、藤田さんはおそらく一人っ子である。私も一人っ子であり、同じにおいがするのである。細かいことは憶えていないのだが、藤田さんのぞうの頭にひよこを打つと「わぁ」と驚き、また、最後に私がぞうを打って必至をかけると、対局し終えたあとに周りの人に「見て見て、これ必至!」と話しかけていた。行動パターンが私と同じである。妙な親近感をいだいていると、藤田さんは次の対局相手を紹介してくれた。

 黒いシャツのおじさん(30代から50代まで可能性がある年齢不詳)が対局相手である。どこどなく強そうな雰囲気だった。そして、雰囲気だけでなく、実際のところ、強かった。二局指したのだが、二局とも完敗だった。私はどうぶつしょうぎというのはほとんど運なのではないかと思っていたのだが、トップクラスになると実力がものをいうのだということを初めて学んだ。とにかく強かった。私が対人で試してみたかった少し変わった手を指すと、「これは昔指したことがある」と言った。それだけでこちらは敗北した気分になるのである。非常に勉強になった二局だった。極めるというのはこういうことをいうのだと思った。

 ところで、その黒いシャツのおじさんとの対局中、何かが背中に当たった。後ろの通路を通ろうとしているのかなと思い、振り返るとそこにはあの私に勝った女の子がいた。「ねえねえ、あの子がすごく強いんだよ」と白いシャツの男の子を指さした。その意味するところは要するに、リベンジしてくれという意味である。そういういきさつで、男の子に対局を申し込んだ。年齢を聞いてみると、6歳であるとのことだった。寡黙な男の子である。対局を始めてみて、その強さが分かった。とにかくすごい早指しなのである。また、本将棋においてプロ棋士がそうするように、指すマスの後ろに駒があるとその駒に引っかけつつ駒を置く。手つきだけで、ただ者ではないということが分かる。一局目はなぜか私が勝ったものの、何か言いたそうな顔をしていたので、「ん?」と訊いてみると、どうやら少年は千日手になるかもしれなかったところを私の気づかぬうちに打開したらしい。「だからもう一局」と少年は言った。再戦むなしく少年は敗北してしまったのだが、私はこの少年に、さっきの黒いシャツのおじさんと同じ意識の高さを感じた。寡黙な男の子は指し手で語るのである。「本将棋なら負けないぜ」と。

 その後、最初に対局した同年代の男性と少しばかり立ち話をしていたのだが、そこでお開きとなった。最多対局賞の少年たちに賞品が贈られ、最後に全員で記念写真を撮影して解散である。なお、その撮影者は数々のプロ棋士たちの写真を撮影してきた通称銀杏記者であるということが帰宅後に判明した。すごい人に写真を撮ってもらったものである。