「考えて走るサッカー」目的語不在の動詞について。

 サッカーのオシム監督の試合になると、必ず出てくるフレーズが「考えて走るサッカー」である。このフレーズは分かりやすいようでいて非常に分かりづらく実践しづらい。なぜ実践しづらいのかといえば、「何を」考えて「どこを」走ればいいのかが分からないからである。

 頭に残りやすく、且つ、実践しづらいフレーズというのは大抵形式が決まっている。「抽象名詞+動詞」である。例えば、「未来を見据える」「戦後を振り返る」「フリーター問題を考える」などである。どれも耳障りのいいフレーズではあるが、何を実践すればよいのかは分からない。では、実践しやすいフレーズにはどのようなものがあるかといえば、「方法+具象名詞+動詞」などがある。一つだけ例を挙げるとすれば「手を挙げて横断歩道を渡ろうよ」である。やろうと思えば誰にでも実践できる。

 オシム監督とともに語られる「考えて走るサッカー」は「抽象名詞+動詞」の典型例である。「(何かを)考えて(どこかを)走るサッカー」と読み替えることができるからである。現在マスコミは、「考えて走るサッカー」というフレーズを多用しているが、読み手や聞き手には何も伝えていないに等しい。オシム監督自身は様々な言葉を用いてマスコミまでもを教育しているように見えるが、果たしてマスコミは「考えて走るサッカー」というフレーズから脱却することができるだろうか。*1

*1:なぜ私がこんなことを語っているのかといえば、「考える」ということがいかなる行為であるかを後輩たちに伝える方法について模索しているところだからである。