生活一般

妥当性と可能性の接触。

以前、Folk Chomskyology - 誰がログのコメント欄に私は次のようなことを書いた。 本論と関係ないのですが、チョムスキーが(誤解はあるにせよ)有名というのは、ものすごく羨ましいです。チョムスキーがというより、「生成文法」が羨ましいのですが。 私の…

穴と「っ」。

修士のときに友人と「穴」について議論をしたことがある。穴を認識したいとして、一体どのように我々は穴を認識する認識器を設計すればいいだろうという議論である。私は音声について研究をしており、彼は言語獲得について研究をしていた。この穴の認識の問…

博士の就職難が意味すること。

私には関係のない話で恐縮だが、高学歴ワーキングプアに関して思うところを書く(特殊な事情により、この話題には関係がないのだが、そのあたりのことに関しては4月あたりに書くかもしれないし書かないかもしれない)。 企業が博士を採りたがらないというこ…

夢の中の書道の話。

2月23日から2月24日にかけての夢。 昨晩(今朝)見た夢の中で夢の中の私が語っていたことが印象に残っているので、引用する。私が語っていたことのみでは何について語っているのかが分からなくなってしまうので、夢を引用する。 かなり広い和室に親戚…

コンピュータ将棋とパターン認識と制御。

コンピュータ将棋に関する学会発表を見たとき、それが認知科学系の研究会であったこともあって、パターン認識に似ているのではないかと考えてしまった。そしてその後、考えをあらためた。コンピュータ将棋とパターン認識はまるで異なるものである。 コンピュ…

「カブロボへの招待 -人工知能を用いた株式取引-」。

人工知能学会学会誌2007年7月号掲載の記事である。短く要約すると、株式に関するロボカップのようなものに関する紹介記事である。 この「カブロボ」は、架空の空間で株を売り買いし、いかに儲かるプログラムを作るかということを競うというものだそうで…

ゆえに、私はセオリーよりもインスピレーションを信じている。

夏休みなので、どうでもいいことを書く。単なる与太話である。 サイエンスというのは常に間違えている。なぜなら、簡単に例外が見つかるからである。理論というのは「大多数が当てはまるモデル」の別名であるので、当てはまらない小数が存在する。 では、間…

感覚的に分かりづらい数直線。

小学生のときに数直線という概念を習って衝撃を受けた憶えがある。それまで「リンゴ○個」に代表されるような離散的な数や小数程度しか知らなかったのに、一気に世界が連続的になったからである。 ただし、この数直線は少々分かりづらい。大抵の場合、中学で…

「多数決は多数派が勝つ」ことに関して。

選挙が終わったので、改めて外山氏のこの発言について考えたいと思う。一連の外山氏の政見放送は常識的には非難されるものではあったが、多くの人が部分的に共感したのではないかと思う。共感した人は「少数」ではないはずだ。 なぜ共感するのかといえば、簡…

卒業式の日に言われた言葉。

私は無関係だったのだが、本日は大学の卒業式があった。私が数年前に大学を卒業したときに言われた最も心に残っている言葉は、別の研究室の友人の一言だった。彼は、「俺が四年間で卒業するとは思わなかったでしょ」と言った。私が正直に「思わなかった」と…

黄色い線の内側と複数形。

二十歳くらいの頃、アメリカのオタクと文通をしていたことがあり、そのときに「日本語には複数形がないよ」と教えたら、「じゃあ完璧なコミュニケーションができないじゃん」と言われたことがある。そのときは、複数形はあってもなくても同じだと思っていた…

負ける方法。

とても抽象的な話である。 私は中学のときに卓球をやっていて、そこそこの強さだった。三年間卓球をしていても勝つためのパターンというのは最後まで分からなかったが、負けるパターンというのははっきりと分かった。 全力を出さないと負ける。 試合をしない…

ジャーナリスト宣言について。

私は朝日新聞は嫌いではないし、どちらかといえば好きな部類に入る。けれども、「言葉の力を信じている」というキャッチコピーには嫌悪感を覚える。*1 結局のところ、言葉の力を信じるというのは、(自分たちの発した)言葉の力を信じるということである。朝…

勉強の好きな人が勉強をする理由。

勉強の好きな人というのはクラスに一定の割合でごく少数だがいることと思う。小学校から大学院まで、どの年代にも一定の割合で勉強の好きな人は存在する。 中でも、大学院の勉強の好きな人が勉強をする理由は簡単である。勉強をすると好奇心を満たすことがで…

勉強は無駄である。

そもそも、学問は楽しいものである。嫌なのは定期考査くらいであり、基本的にはどのような授業も楽しい。少なくとも私は小学校から今までの授業は楽しかった。なぜなのか。基本的に勉強というのは私にとっては遊びに等しかったからである。 遊びというのは無…

役に立つ教育を受けた人が本当に幸せになれているのか、誰か測ってくれませんか。

この段落、前置きである。巷では履修漏れの問題が採り上げられている。私の出身高校は(今は違うようであるが)、生徒たちを文系と理系には分けなかった。そして、全員に「社会四教科(日本史世界史地理政経)」「理科四教科(物理化学生物地学)」を教えて…

見知らぬ学生から研究代行を頼むメールが来た。

先日、私のもとに一通のメールが届いた。プライバシー保護のため詳細は語らないが、「私の代わりに卒業研究をしてください」という趣旨のメールである。その趣旨に反してメールに書かれていた情報量が極端に少なかったため、詳細を聞くためにいくつかの質問…

科学と正義。

ものすごく簡単にいってしまえば、科学の歴史というのは計測と分類の歴史である。オームの法則というのは電気抵抗と電位差と電流を計測することができなければ確かめようがない。食塩がNaとClから成り立っているといえるのは原子が分類されているからである…

オシム監督流「できるけどやったことのないことをさせる教育」

教育というと「知識を詰め込む」と「野放しにする」の二つの方法論の間を行ったり来たりしている印象がある。我々のような「非ゆとり世代」は前者であり、「ゆとり世代」は後者であろうと思う。結論からいえば、どちらも失敗しているように思われる。そして…

「考えて走るサッカー」目的語不在の動詞について。

サッカーのオシム監督の試合になると、必ず出てくるフレーズが「考えて走るサッカー」である。このフレーズは分かりやすいようでいて非常に分かりづらく実践しづらい。なぜ実践しづらいのかといえば、「何を」考えて「どこを」走ればいいのかが分からないか…

強情な人は性格が強情なのではなく言語能力がないだけである。

おそらく周りに一人か二人は、「なぜか人の言うことに耳を貸さず」「自分の主張を押し通そうとし」「相手が自分の言うことを聞かないと人格攻撃を始め」「相手との上下関係をひどく気にする」という感じの人がいると思う。一般的にこういった人は「強情」と…