学術的な面白さと研究。

 卒業論文を書く人へのアドバイスということで、以下のような記事があった。私も書かれている命題には同意する。

とにかく論文たくさん読んでください。

卒論話のついでにこれから卒論を書く人へ勝手に偉そうなアドバイス(一部言語系限定) - 誰がログ

あなたは、面白い現象に出会った時に、それが面白いと気付ける自信がありますか?また、それが言語学的に面白く、論文で取り上げる意義があるということを説明できそうですか?

卒論話のついでにこれから卒論を書く人へ勝手に偉そうなアドバイス(一部言語系限定) - 誰がログ

 この部分だけを引用しておけば記事の内容はだいたいつかめることだろう。要約してしまえば、「言語学的に面白い論文を書くための近道は論文をたくさん読むことである」という記事である。私の専門は音声工学であるが、私の分野でもそのとおりであると思う(音声工学と言語学というと近そうに思えるかもしれないが、私は理工系であり、引用先の書き手は文系である)。

 ただし、「研究は学術的に面白いことをしなければならないのか」ともし問われたら、「そんなことはない」と私は答えてしまうだろう。世の中には、学術的に面白くないけど、非学術的に面白い研究だって存在する。「圧縮新聞」はその身近な例だと思う。

このスクリプトはウェブ上にある新聞社とかのニュースの文章を元にして、バラバラにして圧縮してまとめた文章を作るので、ざっと眺めるだけでその日起こった事件の全体が何となくわかるかもしれません。

「圧縮新聞」を作った - phaの日記

 似たようなものは私も友人と共同で作ったことがあり、上記サイトのphaさんもブックマークしてくれている。

コピペトレンド

はてなブックマーク - phaのブックマーク / 2007年5月9日

圧縮新聞」のようなおもしろおかしい研究は、学者に見せたら鼻で笑われることだろう。もしかしたら、「で、学術的にはどこが面白いんですか」と尋ねる学者だっているかもしれない。

 そんな学者に私は問いたい。

「あなたの研究は、学術的に面白いだけなんじゃないですか?」

 学術的な面白さを追究するのが大学での研究の一番の目的なので、「学術的な面白さ」を否定するつもりはないし、そんなことをしてしまったら私の博士号も剥奪されてしまうかもしれないけれど(剥奪されないとは思うけど)、学問に携わっている人は「学術的な面白さ」とはなんであるのかということを考えてみてもいいと思う。

 感覚的には「学術的な面白さ」の必要性は理解できるし、「学術的に面白い研究」は面白いと感じる。でも、「学術的に面白い研究」のみが大学で追究されることの妥当性について、論理的に説明することは私にはできない。