成績への異議申し立て制度からの連想。

 先日知ったのであるが、うちの大学に「成績への異議申し立て」の制度ができたようである。期限内ならば、教員に成績への文句がつけられるほか、その先生の対処が気に入らなかったら事務に話を持っていけるそうである。私はもはやこの制度は関係ないのだが、私もこの制度ができる前に一度だけ異議申し立てをした講義がある。

 1998年度前期、私が学部一年生(電子工学科)のときの講義で、「力学第一」という名称のものがあった。このとき私は期末テストで「確実にA」という自己評価の答案を書いた。にもかかわらず、成績はBだった。担当教員にその話をしたところ、「答案の採点はせず、見た目で判断をしているから勘が狂うこともある」とのことだった。答案は保存してあるようだったが、見せてはもらえなかった。そのときは腑に落ちなかったが、今となっては懐かしい思い出である(なお、すでにその教員は退官なさっているので、今うちの大学に入学してもその教員に当たることはない。また、その教員が退官なさっていなかったら、さすがにこの内容で日記は書けない)。

 十年前は、学生に堂々と「採点をしていない」と言える時代だったのである。異議申し立ての制度を知って、随分と時代も変わったものだと思った。異議申し立ての制度は必要だとは思うが、そのうち学生の判断で教員を辞職させることのできる制度ができそうで恐ろしい。今にして思えば、何をやっているのか分からなかった講義ほど役に立っている。学生には講義の良し悪しの判断はほとんどの場合、できない。学生が分かりやすいと感じる講義というのは、同じ内容を独習できる場合が多く、要するに価値のない講義である。また、研究室に入ったあとも、やはり指導教員の評価はできない。そのうち語るが、私にも卒業してから評価がかなり変わった指導教員が存在する。