「音声の構造的表象に基づく英語学習者発音の音響的分析」

 かなり長い間、掲載を待っていた論文である。非常に面白い論文であるが、電子情報通信学会論文誌Dのアカウントを持っていないと読めない。ただし、理工系の大学の図書館に行けば論文誌が見つかることと思う。また、個人でアカウントを持っていなくても、大学自体がアカウントを持っていて大学のドメインからアクセスすれば読める可能性もある。以上のような著作権の関係で、一般の人はアブストラクトしか読めない。また、いつもならこのアブストラクトの解説をしているところなのだが、このアブストラクトは具体的なことをほとんど語っていないので、紹介するのが困難である。とりあえず、よもやま話から書いていくことにする。なお、アブストラクトはこちらにある(http://search.ieice.org/bin/summary.php?id=j90-d_5_1249&category=D&year=2007&lang=J&abst=)。

 この論文のもととなる口頭発表を最初に私が聴いたのは2004年の1月のことである。このとき私は修士二年の修了間近の学生だった。電子情報通信学会の音声の研究会である。この研究会における一人の持ち時間は30分であり、その中で普通は発表と質疑応答がおこなわれる。ところが、この先生(セカンドオーサーの人)は発表資料を三人分書き、90分間喋り続けた。異例のことである。内容は音声の革新的な解析手法に関するものだったが、発表は構造主義の話から始まった。たまたま、私はレヴィ=ストロースソシュールにまつわる本を読んだことがあったのであまり違和感はなかったのだが、よく考えてみると工学の話をするのに構造主義から入るのも珍しいことである。

 その後、この先生はその発表内容である「構造的表象」の話を日本国内や国外のいたる地域で話し続けた。私はそれがフルペーパーになるのを待っていたのであるが、最初の発表から三年間かかったようである。査読する方もされる方も編集者も大変だったことだろう。

 さて、文献紹介を試みる。

 リンク先の「あらまし」を読んでも分からないことと思うが、題名のとおりこの論文は「英語学習」に関する話をしている。今回の文献紹介では、英語学習がどのように構造主義に「工学的に」つながるのかを説明しようと思う。

 日本人にはLとRの区別がつかないといわれている。また、大抵の場合、鳥の「bird」の母音部分も心臓の「heart」の母音部分も同じ発音をする傾向にある。このあたりの発音の矯正に機械による自動音声認識を使おうじゃないかという動きが音声の分野にはある。従来の音声認識は「もともと話し手の個人性に対応できていなかった手法」に「対応するための手法」を組み合わせることによって動いている。この風潮にセカンドオーサーの先生は一石を投じ、「話し手の個人性を無視して発音の良し悪しだけを測る機械」を作った。この論文の段階では「個人性」を無視すると同時に「何を発音しているのか」も無視してしまっているので、音声の認識はできないのであるが、「話し手によって不具合が生じる機械」よりはましである。

 ではどのように「個人性を無視」したのかというところが、論文のポイントである。この説明をするために、ようやく「あらまし」から引用をすることができる。

音声の絶対的な物理実体を捨象し,音声事象間の相対的な関係(差異)のみに基づいて音声を構造的に表象することにより(以下略)

 要するに、日本語でいうならば「あ」とか「い」とかの絶対的な周波数特性を測るのではなく、相対的に「あ」と「い」の距離を測っている。その距離の具合が母語話者と似ていればよい発音であるし、似ていなかったら悪い発音である。それまでの「もともと話し手の個人性に対応できていなかった手法」というのは、絶対的な周波数特性に頼っていた。

 表面的にはその「距離」の測り方が面白いのだが、その背景にある「絶対」から「相対」への転換がおそらくこの論文の最も面白い部分である。そのあたりが構造主義である。

 セカンドオーサーは、経歴から四十代だと思われるが、その年代の方々が大学生だった頃は「構造主義」や「差異」というキーワードが学内に溢れていた頃だったと推測される。いわゆるニューアカデミズムである。「あらまし」の中にもわざわざかっこつきで差異という言葉が出てくる。

 あまり紹介をしすぎてしまうと問題があるので、残りは実際に文献を読んでほしい。このセカンドオーサーの口頭発表は非常に学際的であり、知らない分野に恐れることなく踏み込んでいっているのであるが、この論文は工学的にかっちりと書かれている。また、文章も非常に読みやすい。なお、どうでもいい話ではあるが、しばしば論文中に「英語劇経験者」という被験者が登場する。これはセカンドオーサー本人ではないかと思われる。確証は持てないが、その可能性は高い。

 詳しいことを知りたい方は、論文誌を読んでほしい。あるいは、ファーストオーサーにメールを送れば別刷りをくれるかもしれない。