大半の疑似科学は技術である。

 id:dlitさんが疑似科学についてこのように書いている。

この「いつかは証明されるかもしれないでしょ」という言い方は、疑似科学関連のやりとりではよく見かける。

打席に立とうとしない人々 - 誰がログ

 私は正確にはサイエンスの人ではなくてエンジニアリングの人なので(学位が)、エンジニアとしての観点から見ることが多い。一人の工学者としては、大抵の疑似科学を「使えない技術」と見なしている。

 科学はなんらかの現象を「説明できる/できない」で語るものだ。他方、技術は「使える/使えない」で語るものだ。まるで文脈が異なる。ニュートン万有引力という概念を発表した際には、「これで現象を説明することができる」と結ばれていたはずだ。決して「これは使える」とは書かれていなかっただろう。一方で、エジソン白熱電球を作った際には、「これは使える」と宣伝されたはずだ。白熱電球は、何かを説明するための概念ではない。

 疑似科学の代表格である「水からの伝言」は日常の心の持ち方として使うための概念だ。だから、これは技術である。科学的文脈で主張してはいけないし、科学的文脈で批判されるべきものでもない。技術として「使える」か「使えない」かで語られるべきものだ。

 技術に対して「いつかは証明されるかもしれない」という議論は成り立たない。「これは使える」「これは使えない」という議論が基本だ。その延長上に「これは改良すれば使えるはずだ」とか「改良できない」などがある。「水からの伝言」は今のままでは「単なる使えない技術」にすぎない。どう使えばいいのかが分からないからだ。もしそれが可能なら、使いやすく改良されることを願う。

 科学と技術はもともと別々のものだった。それが融合したのはかなり最近のことだ。私は、この二つをもう一度分離すべきなんじゃないかと思っている。