穴の話。
以前、この日記で穴に興味があるということを書いた。後日、本屋で「穴と境界」という本を見つけた。穴と境界について哲学の存在論の観点から考察した本である。私は存在論についてはほとんど知らなかったのだが、穴についての存在論の考察は工学的なパターン認識のアプローチと共通するものがある(境界については共通していなかった)。
この本には、穴には三種類あると書かれている。くぼみ型とトーラス型と球の中の空洞部分である。この三つ目を穴に含めるべきかどうか私は迷っていたのだが、存在論の学者たちが穴について研究をするときには、この三つ目を穴と見なすらしい。ここでさらっと「存在論の学者たちが穴について研究をする」と書いたが、本書の穴についての考察の部分のほとんどは、著者が考えたものではなく、文献の紹介である。穴についての存在論的研究の代表的な論文が平易な言葉で解説されている。どうやら、穴というのは存在論の中でも重要なテーマの一つらしい。
私の専門はパターン認識や音声信号処理であり、「ものすごく身近にあるものなのになかなかパターン認識しづらそうなものはないか」と考えていたところ、穴がパターン認識しづらそうだと修士が終わる頃に思い至った(このことは以前も書いた)。
大雑把にいってしまえば(大雑把すぎる説明なのだが)、現在のパターン認識というのは「認識したいものの典型例」を登録し、それに近いか遠いかを認識の基準としている。つまり、必要なものは「典型例」と「距離尺度」の二つである。パターン認識もすでにかなり成熟した研究分野であり、様々な工夫が凝らされているのだが、基本的な考え方はそれほど変わっていない。
なぜ穴が機械にとって認識しづらそうなのかといえば、この「典型例(っぽいもの)」と「距離尺度(っぽいもの)」を定めるのがひどく難しそうに思えるからである。あなたは穴の典型例を思い浮かべることができるだろうか。そしてそれは、どのような穴にも「近い」だろうか。
どうやら、扱いの難しさは存在論の世界でも同じようで、穴を「もの」とも「こと」ともつかない概念として扱っているようである。「ものもどき」とも表現されている。存在論にとっても、穴はとても定義しづらい概念であるようだ。
さて、実はここまでが前置きである。五月も終わろうとしている折り、まだ研究テーマを決めることができていない修士の学生は日本中にかなりいるのではないかと思う。もし、パターン認識の研究が許される研究室に所属していたら、「穴の認識」をしてみるのも面白いかもしれない。「ものもどきの認識」とも捉えることができる。そんな研究がまとまるかどうかは分からないが、情報系の修士の研究なんぞ、誰かが作った手法を借用してほんの少しパラメータを変えて終わりということも珍しくはない(情報処理学会や電子情報通信学会の大会でそういった発表はたくさん見ている)。誰がどう見てもつまらない論文で卒業するよりは、まとまりは悪くてもどこかに(学術的な)面白さがある論文で卒業した方が気分がいいはずだ。
幸いにも、穴に関する哲学の存在論の参考文献はこの「穴と境界」の巻末にたくさん紹介されている。パターン認識の研究室ならばパターン認識の参考文献はすでに読みきれないほどあるだろう。そして、オントロジー工学の文献も人工知能学会のウェブページに無料で公開されているのでそこから英論文もたどることができる。つまり、参考文献はすでにそろっているも同然である。
技術的に何の役に立つのかは分からない研究テーマであるが、見る人が見れば面白いと感じるかもしれない。最終的にうまくまとまらない可能性もあるので、学会口頭発表が修了用件となっている修士の学生には勧められないし、学部四年生には難しすぎると思う。でも、二年間で何かに挑戦したい修士の学生には、先生と相談の上、やってみる価値があるだろう。
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