ボールのないサッカー観戦。

 先日、動画サイトで剣道の試合を見ていたのだが、竹刀を持ったことのない私にはまるで何をしているのかが分からなかった。もちろん防具を身にまとった二人は見えるし、何やら機敏に動いていることも分かるのであるが、どのように竹刀を振っているのかがまるで分からないのだ。竹刀の動きが見えぬまま、どうやら片方が面を決めたらしく、勝負は終了した。コメントを見てみると、どうやら剣道経験者には竹刀の動きがちゃんと見えているようなのだが、私にはさっぱり見えなかった。

 最初は速すぎて見えないのかとか、画質が悪くて見えないのかとも考えたが、どうにもそうではない。私は卓球ならそこそこ経験があるのだが、その卓球ならピンポン玉を追うことができるのだ。そう思って今度は卓球の試合の動画を見たのだが、私はピンポン玉を目で追ってはいなかった。二人の選手の動きからピンポン玉の位置を推測して、ピンポン玉を見た気分になっていただけだった。もし、なんらかの処理をしてピンポン玉を画面から消してしまったとしても、選手が不自然な動きをしていなければ私は違和感なく観戦してしまうことだろう。

 もし、サッカーだったらどうだろうか。サッカーの動画はさすがにボールが見えるが、もしボールを芝生と同じ色にしてしまっても、選手の動きが不自然でなければ、どこにボールがあるのかを推測することができるのではないだろうか。どういう研究意義があるのかは分からないが、これはこれで一つの研究テーマになりそうである。サッカー選手22人の振る舞いからボールの位置をコンピュータに推定させるのである。分野としてはパターン認識になるだろう。

 また、ボールがないときの22人の動きと、ボールがあるときの22人の動きを提示して、ボールがあるのかないのかをコンピュータに推定させるのも面白いかもしれない。教師信号なしでクラスタリングできたらさらに面白い。観測された状態の変動から、何かほかに重要なパラメータがあるかどうかの推定をするということである。こちらは研究意義が見えやすい。AICとかがからんでくるだろうか。学習理論やデータマイニング方面でこういった方向性の研究はすでにありそうだが、それらの分野に詳しくないので分からない。

 サッカーボールの見えないサッカー観戦は、言い換えれば、パントマイムでありジェスチャーである。人はどのようにパントマイムを理解しているのだろう。そして機械にどうやって理解させたらよいだろう。