「完璧な鳥」は存在するか。

 2006年5月6日(土)に東京大学で開催された公開ワークショップ「認知言語学の学び方3」に関する話である。このワークショップでは、

認知言語学について、実はこれがききたい」という疑問・質問を事前にe-メールで受け付け

 ていたので、メールを送ってから参加してみた。参加してみたら、参加者は100人から150人くらいいたが、メールを送っていたのは私ともう一人のみであった。

 とりあえず、私の出したメールを転載する。

○「完璧な鳥」は存在するのか?
 認知言語学の入門書を読むと、単語の意味にはプロトタイプとその周辺のイメージが存在する、という感じのことがしばしば書かれています。「ペンギンは鳥らしくない鳥である」という例もしばしば見かけます。そこで疑問に思うのですが、「鳥らしさ」という尺度は、我々の中に存在するのでしょうか? もしも、「鳥らしさ」という尺度が存在するとしたら、「これ以上ないほど鳥らしい鳥」=「完璧な鳥」も存在するのでしょうか?

 もしかしたら私以外の人にとってはものすごく馬鹿馬鹿しい質問かもしれないが、私にとっては重要な問題であるし、私以外のパターン認識に携わっている人にとっても重要な問題ではないかと思う。

 以下、私がこの質問をした背景を説明する。

 私の専門は音声認識であり、これはパターン認識の一分野として位置づけることができる。工学でのパターン認識とは、ある物体や画像や音をなんらかのシンボルに置き換えることをいう。たとえば、人の喋った音声を五十音の文字で置き換えるのが音声認識と呼ばれる技術である。また、顔の画像を用意してそれが誰であるのかを識別するのが顔認識である*1

 こういったパターン認識技術には、音声にも画像にもほぼ同様の考え方が採用されている。例えば、Aという物体とBという物体を識別するとき(ベルトコンベアに乗せられてきたリンゴとミカンを見分けることを想像してみてほしい)、我々技術者たちはまず「典型的なA」と「典型的なB」を機械の中に作り出すことから始める。そして、識別すべき物体X(リンゴだかミカンだかまだ見分けていないもの)の様相を機械が調べ、「典型的なA」と「典型的なB」のどちらに近いかを判定する。最終的にどちらの典型例に近いかが判定され、XがAであったかBであったかが決まる。

 ここで私が問題にしたいのは「典型的なそれ」というものを手がかりにして人間が物体の識別をしているかどうかということである。私の直感では、人間は「典型的なそれ」を持ってはいない。例えば、「典型的な鳥」を思い浮かべるのは私には不可能である。「典型的なリンゴ」や「典型的なカラス」や「典型的なフロッピーディスク」あたりなら思い浮かべることはできる。しかしながら、「典型的な鳥」は無理である。典型的な鳥といわれてしまうと、何も思い浮かべることはできない。しいて思い浮かべようとしても、カラスとスズメとツバメが遊んでいる状況が浮かぶばかりで、それらが一羽にまとまることはない。

 人間は「完璧な鳥」を思い浮かべることは可能なのか。

 それに対して「可能だ」と答え続けて現在のパターン認識技術は発達してきた。けれど、そろそろ転換期にあるように思う。ただし、この問題に対してパターン認識の研究者に問いかけても「可能だ」や「保留」以外の答えに辿り着くのは難しいし、「パターン認識の新しい展望へのヒント」などなさそうであると私は考えた。

 そういう経緯で、畑違いの言語学のワークショップに出向き、前述の質問をしてきた。言語学ならば、あるいは何かヒントとなるものをくれるのではないかと思ったからである。

 が、結論からいえば、ヒントとなるような意見は出なかった。そればかりか、(はぐらかされた感もあるが)「人間は完璧な鳥を思い浮かべることができる」という答えを認知言語学のとある研究者は持っているようだった。

 なお、会場に生成文法の研究者がおり、彼曰く「心理的内在性の真偽を考えるよりもそれが有用かどうかを考えた方がよい」とのことだった。工学者と同じ考え方である。科学を押し進めるには有効な手段であるが、その押し進めた科学がどういった方向性のものであるかは顧みない考え方であると私は思う。

 このワークショップから得られた仮説は少なくとも三つある。

 一つは「やはり物体の典型例を人間は想像することができる」という仮説。二つ目は「典型例以外の方法でパターン認識ができたら有名人になれる」という仮説である。最後の一つは「もっと文系よりの言語学の人は別の意見を持っているかもしれない」という仮説である*2



 ところで全く関係のない話だが、当初の(自分の)予想を裏切って、更新ペースが速い。でも、そろそろネタが尽きてくるはずなので、あるとき急に更新頻度が落ち、一ヶ月に三回程度の更新になるはずである。

*1:顔認識の定義は細かくいうと不正確なのであるが許していただきたい。

*2:私見であるが、認知言語学は工学的な発想に近い。