「ポップリサーチ」に関するメール。

 先日、学問の世界にもプロとアマチュアがいていいのではないか、ということを書いた。音楽にはクラシックからポップスまで様々な親しみやすさのジャンルがあり、絵画にも抽象画からポップアートまで様々なものがある。だとしたら、学問にも重いものから軽いものまであっていいのではないかと書いた。軽い学問を「学問」と呼ぶことに抵抗があるのなら、「ポップリサーチ」とでも呼べばいい。そういうことを書いた(http://d.hatena.ne.jp/tihara/20071003#p1)。

 その記事に対して、とある有名大学の教員からメールが届いた。

 まず、アラン・ケイが計算機科学のポップカルチャー化に対して否定的見解を示しているとの情報をいただいた。ただし、メールをくださった方は、ポップリサーチという概念に対して否定的な印象を持っているわけではなく、ただ、「とある有名な人はその傾向を歓迎していない」ということを教えてくれただけである。

この関心の無さはポップカルチャーの関心の無さだ。言い換えると彼らは過去のことすべてに関心が持てないのだ。

http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/0925/high43.htm

 学問のポップカルチャー化に抵抗があるのは分かる。本屋がケータイ小説ばかりになってしまったら私も嫌だ。けれど、本屋そのものがなくなってしまうのは、もっと嫌だ。これはあくまで「そういう気がする」以上のものではないのだが、近いうちに研究のできる研究室がほとんどの大学から消えるような気がしている。

 そして、メールの一部を引用する(引用に関しては許可を得ている)。

井原さんが言われるように学会でプロとアマチュアが共存できると良いと思います。そのためには、プロはアマチュアに対して「アマチュアの方は過去の研究のサーベイは不十分でも構いませんからどんどんアイデアや結果を出して下さい。過去の知見を踏まえた評価はプロの我々がしますから」という役割の分担を許容した態度で臨むとよいのではと思います。これは大学の研究者が学生に臨む態度としても有用かもしれません。

 重要なのは、「過去の研究のサーベイは不十分でも構いませんから」の部分だと私は思う。私が思うに(そしてメールの送り主も思っているのかもしれないが)、研究で最も経験がものをいう部分は、「過去のサーベイ」である。「過去のサーベイ」というのは、具体的にいえば、「何年にこういう研究がなされていて」「世の中の情勢がこうで」「類似の研究としてはこのようなものが挙げられて」「それらの中で我々はこういう問題提起をしようとしていて」「その問題はまだ過去には解かれていない」みたいなことを調べるというものである。一言でいえば、自分の研究が学術的にどのような文脈に位置するのかを調べる作業が「過去のサーベイ」である。この「過去のサーベイ」が実はとても難しい。

 おそらく、このブログを読んでいる人は、理工系学部を卒業した人が多いと思う(その後、修士や博士を修了した人もかなりいると思うが)。学部のときの研究室で、何編か関連論文を読まされたことと思うが、そのときにはそれがどれほど重要な行為かということが分からなかったことと思う。私もあまり分からなかった。実は、査読つきの研究論文の半分は過去のサーベイでできている。ページ数という意味ではなく、論文における重要性という意味である。「学術的文脈における新規性」「その主張の有効性」どちらを語るにも、過去のサーベイが必須となる。

 アマチュアにとって過去のサーベイというのはとても難しい。私にとっても、畑違いの分野のサーベイはとても難しい。もし、アマチュアに学問参加をしてほしいのなら、まずはその障壁からとり除くべきだと思う。メールの送り主もそのように考えているのだろうと思う。



 まだまだこの話題に関しては考えるべきことが多いが、サッカー人口まではいかなくても、村上春樹に関するアマチュア評論家の人口くらいまでは、アマチュア研究者を得ることができるのではないかと考えている。本来、文学評論にも過去のサーベイが必須であるが、アマチュア評論家はそこをスキップして村上春樹に関する印象論を語る。逆にいえば、過去のサーベイをスキップすることを許せば、誰にでも村上春樹は語れるのである。さらに、相対性理論量子力学天文学などの理学も、アマチュア評論家の多い分野である。アマチュア評論家の多さというのは、社会的認知度の高さを表している。

 学問全般に関する社会的認知度が高ければ、わけも分からぬままに大学の学部を選択することも少なくなるだろうし、研究を主体とする大学院に入ったあとで後悔することも少なくなるだろうと思う。そして、小さな頃からその分野がどのようなものかを知っていれば、プロを目指す人のレベルも高くなると思う。アマチュアの学問参加にはそういう利点があると考えている。また、自分がアマチュア研究をしていれば、プロの研究者のすごさ(あるいはすごくなさ)が分かることと思う。

 それから、成果に関しては、分野によってアマチュアの研究がプロに匹敵する場合とまるでレベルが異なる場合に分かれることと思う。そしておそらく、紙と鉛筆と計算器があれば研究ができてしまう分野では、(サーベイ以外は)プロ並みの成果が出てくることと思う。紙と鉛筆と計算器の分野に必要なのは、論理的思考力と基礎計算能力である。アマチュアの学問参加は、もしかしたら基礎学力の重要性の見直しにもつながるかもしれない。

 最後にこれだけはつけ加えておく。アマチュアの学問参加の奨励というのは、アマチュアのレベルに迎合するという意味ではない。プロのレベルを維持したまま、アマチュア参加枠を作るということを意味する。



 全く関係のない話であるが、私が所属している大学は昔モールス信号関連の専門学校だった。そして、そんな大学の創立記念日真珠湾の日である。オチはない。