学部四年生の十月後半から十二月前半。

 十月前半までで、「三次元空間・複数話者・解析的計算の音源定位」のシミュレーションができるようになったわけであるが、実のところ研究の本番はここからである。基礎理論ができてからが研究である。

 シミュレーションはできたものの、許容誤差の範囲に収まらない結果が確か少なからず存在していたように記憶している。十月後半から十二月前半までは、ただひたすら泥臭く、性能の改善に努めた。かなり忍耐力の要る作業だった。とにかく悪いところを探し出し、その原因を突き止めていくのである。思ったとおりの挙動を計算機が示さない日々が毎日のように続き、帰りの電車内ではいつも一人で反省会を開催した。まれに思ったとおりの挙動を示してくれるときもあったが、それは三度だけだった。その三度は卒業論文に織り込んである。ただ、こういった地味な作業が、今にしてみれば最も研究らしく感じられる。

 研究というのは100%失敗を繰り返す作業で構成される。そして、失敗が100%に達したときに、現状を鑑みてみるとなぜか成功している。理屈としては失敗をどれほど重ねても失敗にしかならないのであるが、主観的には失敗だけで成功が形作られている。ただし、成功するのは失敗が100%に達したときだけであって、80%しか積み上げられていない失敗はやはり失敗でしかない。自分でも何を書いているのかよく分からない文章になってしまっているが、博士号を取得した人のほとんどはこの感覚が分かるのではないかと思う。

 そうなるともはや失敗は失敗ではなくなり、予定していた作業が失敗に終わると、ようやく失敗してくれたと安心するようになっている。失敗は前進という意味に置き換わる。