「自然な疑問」の作り方。

卒業研究の肝は、正解がない問題(正解を誰も知らない問題)を観察した事実や構築した理論に基づき論じるという点にある。

「自然な疑問」を持たないように訓練されている - 発声練習

 卒業論文の指導にあたり、最初の「問い」が立てられない学生について教員が嘆いている。どうやらこの嘆きは多くの先生方の共感を呼び、そして、少なからぬ学生たちの戸惑いを招いているようである。私としては、先生方の共感はどうでもよく、むしろ学生たちの戸惑いに対して応えたい。上記エントリはいわゆる「最近の若者は」論に分類されると思われ、そういう議論も問題提起としてとても大事なのだが、それと同じくらいに回答例を具体的に示しておくのも重要だと思う。柔軟性を要求する部分には型を作りたくないと考える教員もいるとは思うが、そういった理想を追求すべきかそれとも一度結果を出させてみるべきかは決着のつかない議論だと思う。

 さて、上記記事を読んだ学生はこのように思うだろう。「では、どうやって『正解がない問題』を作れば正解になるのだろう」。作る方法はいろいろあるが、そのうちの一つを紹介する。例としては、(私は専門ではないので浅い例になるが)ソフトウェア工学を採り上げる。理系のほとんどが何らかのプログラミング言語を使うはずだからである。また、本日の日記は工学のみを対象としている。

 以下、方法。

 最初に、研究分野に関係したことで、自分が嫌だなと思っていることを挙げる。例えば、私だったらオブジェクト指向は嫌だし、ネットワーク関連も嫌だ。それからポインタと構造体も嫌だ。これらは本当に私が苦手なものである。だから、ほとんど使っていない。さらに嫌なものを挙げ続ける。スレッドが嫌だ。GUIが嫌だ。説明書が嫌だ。とにかく、なんでもいいので嫌なものを挙げる。すると、嫌だけどそれほど嫌でもないものが出てくる。バグ取りは嫌だけど、それほど嫌でもない。

 次に、嫌だけどそれほど嫌でもないことに対して、「なぜ嫌なのか」という理由を挙げる。いくつか挙げる。時間がかかる。どこにバグがひそんでいるのかが分からない。メモリオーバーが嫌だ。そして、それほど嫌でもない理由を挙げる。バグがとれると嬉しい。自分のバグのパターンはだいたい分かっている。そもそも自分はバグが少ない。

 そして、嫌な理由とさほど嫌でもない理由の中で、対になっているものを探す。得に、自分に固有と思われるものを探す。「どこにバグがひそんでいるのか分からない」と「自分のバグのパターンはだいたい分かっている」がだいたいそれにあたる。自分に固有と思われるものを採り上げるのは、「まだ正解がない」という条件を満たすためである。

 自分に固有のものを探したら、次に、その理由を強引に他人に拡張してみる。疑問形で拡張する。「ほかの人もどこにバグがひそんでいるのか分からないのか?」「ほかの人もその人にとってのバグのパターンはだいたい分かっているのか?」。これが工学の「正解がない問題」の原型となる。

 嫌いな理由が「問題」であり、さほど嫌いでもない理由が「仮説」である。「バグをもっと簡単に取り除けないだろうか?」「バグには人によって固有のパターンがあるのでは?」。そして、先生たちのいうところの「自然な疑問」というのは、「仮説」とセットになって出てきたものを指す。むしろ、「仮説」を「自然な疑問」と呼ぶ。

 工学の場合の研究テーマのフォーマットは、「困ってるけど、まあなんとかなるかも」である。「困ってるけど=問題」であり「まあなんとかなるかも=仮説=自然な疑問」である。

 今回の例の「バグには人によって固有のパターンがあるのでは」という仮説が学術的に本当に意味のあるものなのかどうかは私は知らない。なぜなら、ソフトウェア工学のことをほとんど知らないからである。だから、学部生は先生や先輩に「問題」と「仮説」を同時にぶつけてみるといい。先生や先輩が「面白い」といえば、それは研究テーマとなる。ちなみに、私の予想では、このバグに関する仮説は研究テーマとしては広すぎる。下手をすると、研究分野ですらあるかもしれない。

 一応まとめる。

  1. 嫌なものを挙げる。それほど嫌でないものが出るまで執念深く挙げ続ける(題材選び)。
  2. 嫌だけどそれほど嫌でもないことがらに対して、嫌な理由とそれほど嫌でもない理由を挙げ続ける(焦点の絞り込み)。
  3. それらの理由の中で、自分に固有だと思えるものを選び出し、「問題」と「仮説」になるような対を作る(仮説の生成)。
  4. 自分に固有なその「問題」と「仮説」を疑問形で他人に強引に拡張してみる(一般化)。

 重要なのは、ほぼ一貫して「自分の感覚」を頼りにしているということである。「嫌い」という感情は誰でも持っているはずなので、多分、誰にでも実践は可能だと思う。ただし、極度の恥ずかしがり屋さんには不可能である。また、その分野について勉強が絶対的に不足していると、「浅くて」「曖昧な」嫌いなものしか出てこないので、先生や先輩に「面白い」とは言ってもらえない(今回の「バグ取り」のテーマのように?)。ピンポイントで些末な「嫌い」ほど大抵の場合は「面白い」。

 先生や先輩に「面白い」と言ってもらえたら、次は、「仮説の検証」をすることになる。大抵の場合、最初に立てた仮説には穴があったり間違っていたりする。検証をして何か具合の悪いところが見つかったら、問題を変えることなく仮説をもう一度作り直してみて、再び仮説の検証をする。卒業研究に一年という期間が確保されているのは、何度でも仮説を立て直すことができるようにするためである。

 なお、今回は「嫌いなもの」をとっかかりにしたが、「問題」と「仮説」が対になって出てくれば、どういった方法を用いて「自然な疑問」を作り出してもよい。それから、工学以外の例えば理学であるとか文学であるとか社会学などには、また異なる方法を考えることができるはずである。様々な先生にいろいろな方法論を紹介していただきたい。ただし、おそらく出発点に「自分の感覚」があるところだけは共通しているだろうと思われる。

(ちなみに、今回紹介した方法は私はあまり好きではない。私は大抵、物事の定義とその妥当性を突き詰めて考えることから研究を始める。答えに辿り着くまでにものすごく時間がかかるが。そして、私が好む方法では「答えが出る見込み」を説明することができないので、アンダーザテーブル的に研究を進めざるを得なくなるのだが。)