見知らぬ学生から研究代行を頼むメールが来た。

 先日、私のもとに一通のメールが届いた。プライバシー保護のため詳細は語らないが、「私の代わりに卒業研究をしてください」という趣旨のメールである。その趣旨に反してメールに書かれていた情報量が極端に少なかったため、詳細を聞くためにいくつかの質問をしたのであるが、(おそらく質問が負担だったために)返信は来なかった。このメールがスパムやいたずらの類ではない状況証拠はいくつかあるのだが、やはりプライバシー保護のため詳細は書かないことにする。

 研究代行を頼むというこのメールが私にとってとても衝撃的だったため、後日、数人の友人に喋ってみた。「ちょっとあり得ないメールだよね」という意見が多数の中、ある一人の友人が「相手の気持ちはなんとなく分かる」と言った。曰く、「その相手はgoogleさんに訊くような気分で君にメールを送ったんだろうね」とのことだった。私は知らないうちにgoogleの代わりになっていたらしい。

 googleはウェブの世界を変えた。世界の全ての情報を統合するといった理念をかなりのところまで実現してしまった。私の研究室に来た留学生も「(私が天気予報を訊いたら)I don't know, but the internet knows」と答えて即座に検索してくれた。便利な世の中になった反面、その統合された一つ一つの情報が誰か見知らぬ個人によって作られたものであるということをgoogleは忘れさせてしまったように思う。

 これが世にいうWeb2.0なのだろうか。検索をすれば簡単な情報なら手に入る。少し高度なことが知りたかったら、人力検索はてなに訊けばいい。そして、さらに面倒なことなら、今回の研究代行のように、スキルのありそうな人にメールを送ればいい。

 いま巷では、youtube著作権問題が取り沙汰されているが、事態はそれよりも速く進行していて、もはや著作権という概念はすでに消滅しているのではないかと思える。そして、真に消滅しかけているのは「学習」や「勤労」という概念ではないだろうか。誰かの持っている知識は人類の共有物であり、誰かの労力は自分のためにある。そのような世の中になりつつある気がする。勉強をしなくてもよかったり、働かなくてもよかったりするなら、とても楽ではあるが、その社会はうまく回っていくだろうか。

 自分の労働は誰かが代行してくれ、誰かの知識は自分のものである。夢のようなジャイアニズムが現実になろうとしているが、それは「私」の存在意義が分からなくなる危うい世界でもある。

 数年後、留学生に天気予報を訊いたらこんな回答が返ってくるかもしれない。

「I know, because we are the internet」