2006-06-01から1ヶ月間の記事一覧

パターン認識の成功事例。

なぜ音声認識研究は失敗している(と私が思っている)のかを語る前に、認識技術の成功事例について語ろうと思う。 まず、予備知識から説明しておくと、ある事例についてなんらかのラベル(カテゴリ名)をつけることを「パターン認識」と呼んでいる。音声認識…

バイオメトリクスに関する学会で。

2006年6月23日、東京の工学院大学で「バイオメトリクス」に関する学会が開かれた。とりわけ興味のある学会でもなかったのであるが、後輩を誘った都合上、聴講してきた。印象に残っているのは、技術よりも話題性が先走ってしまっているという話だった…

何が分からないのかを語ること。

今日の日記は、専門家は専門を語れという話でもあり、分かっていることを語るより分からないことを語れという話でもある。 理系離れという言葉が古くさいものに聞こえてしまう世の中になったが、私は離れているのは理系だけではなくて、文系からもみんな(大…

「だから」の推進力と「しかし」の倫理観。

西洋を中心に科学は発展してきたが、そこで用いられてきた「科学的な考え方=合理性」を人間に要求すると不幸を招くのではないかと思っている。本日の日記では、このことを「だから」と「しかし」という二つの接続詞をキーワードにして語る。なお、今回の日…

科学と技術はもともと別物だった。

2006年6月7日から9日まで、東京で人工知能学会の全国大会が開かれた。私は6月7日のみ、聴講参加してきた。とある先生の講演を聴いてみたかったからである(http://www.jaist.ac.jp/jsai2006/program/session-63.html)。その講演が私にとっては非常…

音声認識の現時点での限界。

音声認識技術の限界を三つの例を通して語る。 一つ目の例は「ふっかつのじゅもん」である。この「ふっかつのじゅもん」についてはおそらくはてなのキーワードリンクを読めば分かると思うので、説明はしない。要するに、五十二文字のランダムなひらがなの羅列…

論文のPDF閲覧にパスワードをかけるのをやめてほしい。

(この文章の掲載に前後して、PDFの自サーバへの掲載が許可された。ただし、電子情報通信学会への申請が必要。そして、よく規約を読んでみると、著者最終原稿の転載は不可となっていた。要するに、実質的には掲載は許可されていない。) 今回の記事は、要す…

強情な人は性格が強情なのではなく言語能力がないだけである。

おそらく周りに一人か二人は、「なぜか人の言うことに耳を貸さず」「自分の主張を押し通そうとし」「相手が自分の言うことを聞かないと人格攻撃を始め」「相手との上下関係をひどく気にする」という感じの人がいると思う。一般的にこういった人は「強情」と…

英語の授業では冠詞と前置詞を徹底的に教えてほしかった。

英語の授業を小学校に採り入れる試みがあるようである。すでに多くの小学校で実践されているのか、まだ実験的に数少ない学校で試されているだけなのかは知らない。小学校での英語教育には賛否両論あるようであるが、私が気になるのはむしろその内容である*1…

卒業証書にランクをつけてもいいのでは。

五月二十一日に「愚痴として書く」と書いていたことを本日の日記では書こうと思う。研究室のどうしようもない現状への愚痴である。 私は、学部四年および修士二年間の合計三年間を過ごした研究室と、博士課程を過ごしている研究室が異なる。これは、修士課程…